<data xmlns:xsi="http://www.w3.org/2001/XMLSchema-instance">
<row _id="1"><都道府県コード又は
市区町村コード>212172</都道府県コード又は
市区町村コード><NO>4000001</NO><都道
府県名>岐阜県</都道
府県名><市区町村名>飛騨市</市区町村名><名称>薬師堂</名称><名称_カナ>ヤクシドウ</名称_カナ><名称_通称 /><名称_英語 /><文化財分類>建造物</文化財分類><種類>建造物</種類><場所
名称>薬師堂</場所
名称><住所>神岡町小萱14</住所><方書 /><緯度>36.30035416</緯度><経度>137.3067254</経度><電話
番号 /><内線
番号 /><員数
（数）>1</員数
（数）><員数
（単位）>棟</員数
（単位）><法人
番号 /><所有
者等>瑞岸寺</所有
者等><文化財指定日>1971-12-28T00:00:00</文化財指定日><利用可能曜日 /><開始時間 /><終了時間 /><利用可能日時特記事項 /><画像 /><画像_ライセンス /><概要>瑞岸寺安楽院薬師堂は、その所在地名から小萱薬師堂の名称で知られている。この堂は、かつて小萱地区の共有で寝雑薬師（ねまぜやくし）の別名で知られる奇祭が毎年行われ、多くの参拝者を集めていた。現在、所有者は瑞岸寺となっている。この堂は昭和49~50年に解体修理がされ、現在の姿になっている。この修理以前には様式手法が室町中期以前と推定されていたが、現在の建物は鎌倉時代建立の前身堂の部材を利用して室町時代初期に再建されたものであることが判明している。この堂は方三間、入母屋造（いりもやづくり）、こけら葺の小堂であり、中世の様式を残す重要な建物である。建立後の修理としては、室町後期の柱の取替え、柱間装置の変更があり、享保12年（1727）、宝暦4年（1754）に大規模な改修が行われており、当初の姿が改変されていた。現在は室町時代初期の再建当時の姿に復されている。</概要><概要_英語 /><説明 /><説明_英語 /><URL>https://hida-bunka.jp/search/search2/</URL><備考 /></row>
<row _id="2"><都道府県コード又は
市区町村コード>212172</都道府県コード又は
市区町村コード><NO>4000002</NO><都道
府県名>岐阜県</都道
府県名><市区町村名>飛騨市</市区町村名><名称>岐阜県中野山越遺跡出土品</名称><名称_カナ>ギフケンナカノヤマコシシュツドヒン</名称_カナ><名称_通称 /><名称_英語 /><文化財分類>考古資料</文化財分類><種類>美術工芸品</種類><場所
名称>飛騨市美術館・飛騨の山樵館</場所
名称><住所>古川町若宮二丁目1-58</住所><方書 /><緯度>36.2382801</緯度><経度>137.1901438</経度><電話
番号 /><内線
番号 /><員数
（数）>362</員数
（数）><員数
（単位）>点</員数
（単位）><法人
番号 /><所有
者等>飛騨市</所有
者等><文化財指定日>1996-06-27T00:00:00</文化財指定日><利用可能曜日 /><開始時間 /><終了時間 /><利用可能日時特記事項 /><画像 /><画像_ライセンス /><概要>飛騨市古川町にある中野山越遺跡から出土した縄文時代中期の出土遺物である。内訳は深鉢形を中心とする土器類29点、土偶残欠4点、土製耳飾2点、磨製石斧・打製石斧・石匙・石鏃・掻器・石錐等の石器類合計318点、石製装飾品8点、石棒1点である。土器は、北陸系・信州系・東海系などとよばれる周辺各地域の特徴的な文様が取り入れられ、活発な交流があったことを物語っている。これらは中期の中葉・後葉・末葉の３時期により様相が異なる。このように、各地域とのつながりを示す文様を持つ土器が出土するありかたが、「飛騨地域における縄文時代中期の典型的な組み合わせを示している」として国の重要文化財の指定を受けている。</概要><概要_英語 /><説明 /><説明_英語 /><URL>https://hida-bunka.jp/search/search4/</URL><備考 /></row>
<row _id="3"><都道府県コード又は
市区町村コード>212172</都道府県コード又は
市区町村コード><NO>4000003</NO><都道
府県名>岐阜県</都道
府県名><市区町村名>飛騨市</市区町村名><名称>獅子頭コレクションと飛騨の獅子舞用具</名称><名称_カナ>シシガシラコレクショントヒダノシシマイヨウグ</名称_カナ><名称_通称 /><名称_英語 /><文化財分類>重要有形民俗文化財</文化財分類><種類>その他</種類><場所
名称 /><住所>古川町弐之町</住所><方書 /><緯度 xsi:nil="true" /><経度 xsi:nil="true" /><電話
番号 /><内線
番号 /><員数
（数）>800</員数
（数）><員数
（単位）>点</員数
（単位）><法人
番号 /><所有
者等>個人</所有
者等><文化財指定日>1980-04-24T00:00:00</文化財指定日><利用可能曜日 /><開始時間 /><終了時間 /><利用可能日時特記事項 /><画像 /><画像_ライセンス /><概要>このコレクションは、田端計朶（けいた）氏が収集したものである。獅子頭は、全国からの収集であり、形状や材質などの点で、各地の特色がみられる。また紀年銘のあるものが含まれていて［天正10（1582）年、貞享元（1684）年］、獅子舞の時代的変遷がわかる。獅子舞用具は、金蔵獅子用具、幌類、各種面、獅子あやし用具（採物など）、囃子方用具（笛、太鼓、バイ（ばち）、ビンザサラなど）、台本類、衣装、その他　この種の収集物としては、質量ともにすぐれ、この地域の獅子舞の特色をよく表していて、獅子舞はもとより、庶民の信仰の一端をうかがうことができる。現在は飛騨高山獅子会館において展示公開されている。</概要><概要_英語 /><説明 /><説明_英語 /><URL>https://hida-bunka.jp/search/search6/</URL><備考 /></row>
<row _id="4"><都道府県コード又は
市区町村コード>212172</都道府県コード又は
市区町村コード><NO>4000004</NO><都道
府県名>岐阜県</都道
府県名><市区町村名>飛騨市</市区町村名><名称>飛騨の山樵及び木工用具</名称><名称_カナ>ヒダノサンショウオヨビモッコウヨウグ</名称_カナ><名称_通称 /><名称_英語 /><文化財分類>重要有形民俗文化財</文化財分類><種類>その他</種類><場所
名称>飛騨市美術館・飛騨の山樵館</場所
名称><住所>古川町若宮二丁目1-58</住所><方書 /><緯度>36.2382801</緯度><経度>137.1901438</経度><電話
番号 /><内線
番号 /><員数
（数）>3258</員数
（数）><員数
（単位）>点</員数
（単位）><法人
番号 /><所有
者等>個人</所有
者等><文化財指定日>1981-04-22T00:00:00</文化財指定日><利用可能曜日 /><開始時間 /><終了時間 /><利用可能日時特記事項 /><画像 /><画像_ライセンス /><概要>飛騨の生活をささえた山林を活用するための、山仕事用具と、関連する仕事着・食器類などを、体系的にまとめたもの。これらは田端計朶（けいた）氏が収集し、飛騨市に寄贈されたもの。これらは、一点ごとに、製作・使用についての資料が付属しており．明治末期から昭和初期に使用された大工道具一式が完全な形で集められている。また、各種の橇類とその付属用具が、セットで集められている。現在は文化財保護のため収蔵庫に保管されている。</概要><概要_英語 /><説明 /><説明_英語 /><URL>https://hida-bunka.jp/search/search7/</URL><備考 /></row>
<row _id="5"><都道府県コード又は
市区町村コード>212172</都道府県コード又は
市区町村コード><NO>4000005</NO><都道
府県名>岐阜県</都道
府県名><市区町村名>飛騨市</市区町村名><名称>宮川及び周辺地域の積雪期用具</名称><名称_カナ>ミヤガワオヨビシュウヘンチイキノセキセツヨウグ</名称_カナ><名称_通称 /><名称_英語 /><文化財分類>重要有形民俗文化財</文化財分類><種類>その他</種類><場所
名称>飛騨みやがわ考古民俗館</場所
名称><住所>宮川町塩屋</住所><方書 /><緯度>36.39129415</緯度><経度>137.1843239</経度><電話
番号 /><内線
番号 /><員数
（数）>2800</員数
（数）><員数
（単位）>点</員数
（単位）><法人
番号 /><所有
者等>飛騨市</所有
者等><文化財指定日>1987-03-03T00:00:00</文化財指定日><利用可能曜日 /><開始時間 /><終了時間 /><利用可能日時特記事項 /><画像 /><画像_ライセンス /><概要>山国飛騨の宮川水系・庄川水系地域は、日本海側の気候で、冬期間の気象条件は非常に厳しいものがあった。この資料は、旧宮川村及びその周辺地域の冬ごもりの準備から翌春の消雪するまでの期間の生活を裏付ける用具類を体系的に収集したものである。例えば、除雪に使用する木製の大きなヘラのような道具を「バンバ」といい、各地域によってそれぞれ大きさや形に違いがある。また、信仰用具としてオニノ顔を描いたものもある。履物は様々な形があり、用途により履き分けていた。また、冬ごもりに備えた味噌や漬物づくりに使用する用具もある。このように、生活の知恵と工夫によって自然条件に適応しようとする意識の投影されたものが少なくない。これらは現在、飛騨みやがわ考古民俗館に保管・展示されている。</概要><概要_英語 /><説明 /><説明_英語 /><URL>https://hida-bunka.jp/search/search8/</URL><備考 /></row>
<row _id="6"><都道府県コード又は
市区町村コード>212172</都道府県コード又は
市区町村コード><NO>4000006</NO><都道
府県名>岐阜県</都道
府県名><市区町村名>飛騨市</市区町村名><名称>古川祭の起し太鼓・屋台行事</名称><名称_カナ>フルカワマツリノオコシダイコ・ヤタイギョウジ</名称_カナ><名称_通称 /><名称_英語 /><文化財分類>重要無形民俗文化財</文化財分類><種類>その他</種類><場所
名称 /><住所>古川町内</住所><方書 /><緯度 xsi:nil="true" /><経度 xsi:nil="true" /><電話
番号 /><内線
番号 /><員数
（数） xsi:nil="true" /><員数
（単位） /><法人
番号 /><所有
者等>古川祭保存会</所有
者等><文化財指定日>1980-01-28T00:00:00</文化財指定日><利用可能曜日 /><開始時間 /><終了時間 /><利用可能日時特記事項 /><画像 /><画像_ライセンス /><概要>古川祭の起し太鼓・屋台行事は、古川町の産土神である気多若宮神社の祭礼に行われる行事である。19日の神輿の渡御に合わせて屋台の行列が、獅子舞や闘鶏楽を伴って町々を練り歩き、19日21時からは勇壮な起し太鼓が行われる。起し太鼓は、本楽祭の開始を知らせるためのものともいわれているが、大太鼓を据えた大きな櫓を大勢の半裸の若者がかつぎ、大太鼓の上にまたがった２人の若者がこの太鼓を豪快に打つ。町を巡行する時には、小太鼓を担いだ付太鼓が、各町内から出てこの大太鼓にからみあう。せめぎあう大太鼓と付太鼓は男性的な祭の興奮を呼び起す注目すべき行事である。各町の屋台は、９基あり、江戸時代後期に発達した祭屋台の形態をよく備えており、この中にはからくり人形を設けた屋台もあり、この種の祭礼行事の代表的な事例の一つとして重要なものである。平成28（2016）年、ユネスコ無形文化遺産保護条約「人類の無形文化遺産の代表的な一覧表」に「山・鉾・屋台行事」として登録された。</概要><概要_英語 /><説明 /><説明_英語 /><URL>https://hida-bunka.jp/search/search5/</URL><備考 /></row>
<row _id="7"><都道府県コード又は
市区町村コード>212172</都道府県コード又は
市区町村コード><NO>4000007</NO><都道
府県名>岐阜県</都道
府県名><市区町村名>飛騨市</市区町村名><名称>江馬氏城館跡　下館跡 高原諏訪城跡 土城跡 寺林城跡 政元城跡 洞城跡 石神城跡</名称><名称_カナ>エマシジョウカンアト　シモヤカタアト　タカハラスワジョウアト　ドジョウアト　テラバヤシジョウアト　マサモトジョウアト　ホラジョウアト　イシガミジョウアト</名称_カナ><名称_通称 /><名称_英語 /><文化財分類>史跡</文化財分類><種類>その他</種類><場所
名称 /><住所>神岡町殿他</住所><方書 /><緯度>36.32666948</緯度><経度>137.3096111</経度><電話
番号 /><内線
番号 /><員数
（数）>7</員数
（数）><員数
（単位）>ｶ所</員数
（単位）><法人
番号 /><所有
者等>飛騨市他</所有
者等><文化財指定日>1980-03-21T00:00:00</文化財指定日><利用可能曜日 /><開始時間 /><終了時間 /><利用可能日時特記事項 /><画像 /><画像_ライセンス /><概要>江馬氏は中世に高原郷（現在の飛騨市神岡町、高山市上高町周辺）を治めた武将である。14世紀頃から室町幕府の文書に度々登場し、1489年に禅僧の万里集九が江馬氏の饗応を受けたという記録が残る。下館跡は昭和49年、土地改良工事に伴う発掘調査にて建物跡、土塁跡、堀跡、庭園遺構などを確認した。下館跡の東側にある高原諏訪城跡は江馬氏の本城とされており、1582年に八日町の戦いで小島城主の小島時光に攻められ、落城したと考えられる。現在でも市内で最大規模を誇る堀跡などの城郭遺構が残る。その他の山城においても城郭遺構を確認することができ、それぞれ主要街道を押えるような位置に立地している。</概要><概要_英語 /><説明 /><説明_英語 /><URL>https://hida-bunka.jp/search/search3/</URL><備考 /></row>
<row _id="8"><都道府県コード又は
市区町村コード>212172</都道府県コード又は
市区町村コード><NO>4000008</NO><都道
府県名>岐阜県</都道
府県名><市区町村名>飛騨市</市区町村名><名称>江馬氏館跡庭園</名称><名称_カナ>エマシヤカタアトテイエン</名称_カナ><名称_通称 /><名称_英語 /><文化財分類>名勝</文化財分類><種類>その他</種類><場所
名称>江馬氏館跡庭園</場所
名称><住所>神岡町殿　</住所><方書 /><緯度>36.32666948</緯度><経度>137.3096111</経度><電話
番号 /><内線
番号 /><員数
（数） xsi:nil="true" /><員数
（単位） /><法人
番号 /><所有
者等>飛騨市</所有
者等><文化財指定日>2017-10-13T00:00:00</文化財指定日><利用可能曜日 /><開始時間 /><終了時間 /><利用可能日時特記事項 /><画像 /><画像_ライセンス /><概要>江馬氏館跡庭園は、史跡江馬氏城館跡の居館跡（下館跡）で発見された庭園遺構で、15世紀末から16世紀初頭にかけて完成したものと考えられ、平成11年度から平成22年度にかけて保存整備を行い、公開している。居館敷地の南西隅に庭園配置する。会所と土塀に囲まれた空間に景石石組みを伴う不整形の園池が設けられ、会所からは土塀越しに左手に高原諏訪城のある山を望み、右手にかけて北飛騨の山地を遠望する。土塀の内側には緩やかな凹凸の陸部を設け、手前に園池を配する。園池に底打ちや導水路、排水路などは確認していない。池底が透水層から成って枯れ池の意匠を呈する。室町時代における庭園文化の地方への伝播と多様化を示す重要な事例として庭園史上の価値が高く、保存整備によって芸術上及び観賞上の価値が顕在化されたことも価値が高い。</概要><概要_英語 /><説明 /><説明_英語 /><URL>https://hida-bunka.jp/search/search9/</URL><備考 /></row>
<row _id="9"><都道府県コード又は
市区町村コード>212172</都道府県コード又は
市区町村コード><NO>4000009</NO><都道
府県名>岐阜県</都道
府県名><市区町村名>飛騨市</市区町村名><名称>横山楡原衝上断層</名称><名称_カナ>ヨコヤマニレハラショウジョウダンソウ</名称_カナ><名称_通称 /><名称_英語 /><文化財分類>天然記念物</文化財分類><種類>その他</種類><場所
名称 /><住所>神岡町横山</住所><方書 /><緯度 xsi:nil="true" /><経度 xsi:nil="true" /><電話
番号 /><内線
番号 /><員数
（数） xsi:nil="true" /><員数
（単位） /><法人
番号 /><所有
者等>飛騨市</所有
者等><文化財指定日>1941-10-03T00:00:00</文化財指定日><利用可能曜日 /><開始時間 /><終了時間 /><利用可能日時特記事項 /><画像 /><画像_ライセンス /><概要>高原川･神通川に沿って横山地域より富山県細入村楡原地域に在る大きな断層の一部を指す。千貫橋のたもとには、見事な衝上断層（断層面の傾斜45度以下の逆断層）が露頭している。この横山衝上断層の断層面は約30度のゆるやかな角度で傾斜していて、その断層面の上側が日本で最も古い基盤地層の飛騨変成岩で、下側が中生代の手取層群である。したがって、この衝上断層の現象は、中生代の終わり（白亜紀）頃行われた大地殻運動でしゅう曲の一部が壊れ、下盤にあった飛騨変成岩類が上盤にある手取層群の上につき上げられた逆断層である。</概要><概要_英語 /><説明 /><説明_英語 /><URL>https://hida-bunka.jp/search/search1/</URL><備考 /></row>
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